登場年:昭和50年(1975年)←なお別ルートでは1959(昭和34)年
運転区間:上野〜金沢 (福井まで延長された時期あり)
使用車種:485系
元使用車種:10系、12系、14系、489系など
急行「能登」が初めて登場したのは昭和34年頃(?)のことで、首都圏と金沢を結ぶ急行列車であることは現在と同じではあったが、ルートは山越えのない東海道本線〜北陸本線経由であった。
この「能登」は1968(昭和43)年にいったん廃止となったが、昭和50年に上越線経由の列車として再登場した。昭和57年にはそれまでの雑多な客車から14系客車にグレードアップさせたが、同時にそれまでの上越線経由を改め、信越本線経由で金沢を目指すようになった。
この状態でJR時代を迎えるが、大きな変化もなくしばらくは運転されたが、1993(平成5)年に14系客車から、運用が減少して手隙状態となっていた489系電車に置き換えられた。この改正で、上野発着の定期急行列車は「能登」だけとなり、孤高の存在となったが、その後も廃止のうわさだけは流れるものの、廃止されることはなかった。
「能登」の最大の危機だったのが、1997(平成9)年の長野新幹線の開通に伴うダイヤ改正で、この改正で信越本線の横川〜軽井沢間が廃止となった。「能登」と同じルートを走る特急「白山」は廃止となった。上越線経由の夜行列車は「北陸」が存在していたため、「能登」の廃止の公算は高かったのである。
しかし、「能登」は上越線経由となって生き残った。座席車で運転される「能登」と寝台車で運転の「北陸」では客層が違うと判断されたのだ。そのまま、「能登」は現在も運転されているが、使用車両の489系はすでに老朽化が著しく、利用率の問題もあり、毎年のように廃止の噂が耐えない状態であったが、2010年3月のダイヤ改正でついに定期運転を終えることになった。
ただし幸いにも週末と、夏休みなどの多客期に485系(新潟車両センター所属)を使用した臨時急行として今後も運転される。ボンネット型はいなくなるものの、引き続き首都圏に顔を出す国鉄色の485系として貴重な存在であり続ける模様。