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岡山から津山線・因美線を通って鳥取に向かう急行で、昭和41年に新設された。登場当初から山陰方面への急行列車と併結する運用が組まれるなど、気動車急行群の中核として活躍した。 陰陽連絡列車としての使命を持っていたため、JR化後も増発されるなど、コンスタントな利用実績を持っていた急行だった。 長く温泉地で有名な倉吉まで足を伸ばす列車も設定されており、JR化後は快速としてではあったが、米子まで到達していた列車もあった。 1990年代に入り、アコモ改善車が導入されたが、智頭急行の開通後は、対津山では快速と急行・対鳥取では智頭急行経由に改めた上で特急化という道を歩むこととなる。 結局1997年に急行「つやま」・快速「ことぶき」・特急「いなば」に改称され廃止された。
この急行に初めて出会ったのはやはりJR化直後のことで、ちょうど「砂丘」のグリーン車がキロハになった頃のことだ。 鳥取駅で倉吉方面行きの列車を待っていたところ、「砂丘」がやってきました。この列車はそのまま山陰本線下りの快速米子行きとなった。 私はこの列車で倉吉まで行った。ちゃっかりキロハ28の普通車に乗車していた記憶がある。もっとも、シートはボックスシートだったが。。。 その後1990年代も中ごろに差し掛かると、急行列車は激減しており、グリーン車の存在も貴重になりつつあった。 ちょうど平成7年の夏、田舎に帰るとき、岡山から鳥取までは「砂丘」でいこうと計画し、グリーン券をゲットできたので、このルートで行くことになった。 写真はその当日の写真で、岡山駅で撮影した4号だ。実はこのとき初めてアコモ改善がなされていることを知った。このカラーリングは今でも多々ある58系のカラーリングの中で最良のものと思っている。そういえばどことなく上沼垂色の485系に似ているよなぁ。 この線区は必ずしも線形の良い路線ではなく、フルノッチで走ることはまずなかったが、優雅な時間を過ごす事ができた。 因美線内ではタブレット閉塞区間があり、その模様を見ることができたのも大変大きな収穫となった。 当時、すでに優等列車としては唯一のタブレット閉塞区間を走る列車であったということも今から思えば随分と貴重な体験だったと思う。 その後、「砂丘」はバラバラに散らばるように「いなば」「つやま」「ことぶき」と名を変えたが、「つやま」に砂丘車が使用されたため、当時の名残を残すことになった。 なお、因美線内は山岳線区で、キハ65が連結されているとはいえ、キロハ28の存在はかなり厳しかったようで、表定速度はかなり低かった。 余談ながら、先日ネガがCD-ROMにやけたので写真を差し替えた。スキャナでスキャンするより、良く映っている・・・
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