特急【あいづ】
     J.N.R / J.R. Limited Express "Aizu"

夏の行事となりつつある「あいづ」の運転。
(写真:会津若松駅/撮影:デューク)
●基本データ・運転区間
登場年:1968(昭和43)年
運転区間:上野〜会津若松・喜多方 *2005(平成17)年は新宿発で運転。
使用車種:485系

●列車の解説
 磐越西線には特急「やまばと」の一部が乗り入れを行うようになっていたが、昭和43年に喜多方までの電化が完成すると、「やまばと」も電車化された。そして同年10月より列車名が「あいづ」となった。「あいづ」は会津地方と首都圏の都市間連絡を担っており、会津への観光というより、会津からの用務客をターゲットにしているダイヤ構成であった。

 上野から郡山まで東北本線を走るものの、郡山から会津若松までの距離が60kmほどしかなく、東北新幹線開業後も乗換え等の時間を考慮すると直通のメリットがあると判断され、上野直通形態のまま残され、JR時代を迎えた。

 JR化後は「つばさ」の直通列車とともに貴重な東北特急として活躍したが、「つばさ」が山形新幹線にコンバートされ、最後の上野直通の東北特急となった。しかし、485系も大きな改装も施されないまま使用されている状態で、陳腐化が著しく、また、上野直通形態をとっているため、どうしても1往復しか設定できず、会津方面への観光需要にこたえられないなど不都合が顕在化したため、平成5年に郡山で新幹線に接続するシャトル特急「ビバあいづ」となり、いったん消滅した。そして、これは東北特急の上野直通がなくなった瞬間でもあった。

 その後、どういうわけか平成14年になって「ビバあいづ」の専用車両を撤収させて一般の485系に置き換えが行われ、列車名が再び「あいづ」となった。しかし、この措置は長くは続かず、1年ほどで快速「あいづライナー」に格下げとなった。

 ところが、平成17年になり、会津デスティネーションキャンペーンが開催され、首都圏からの輸送を担う列車として再び「あいづ」が設定された。夏季の土日限定とはいえ首都圏と会津を直通する特急が復活したため、大きな話題となった。さらに、平成18年、平成19年も「あいづ」が設定され、前回は新宿発着であったものを上野発着としたため、まさに「あいづ」の復活といってよく、注目を集めた。また、間合い運用で快速「あいづライナー」も引き続き設定されている。

 ちなみに、「あいづ」という列車は仙台と会津方面を結ぶ準急・急行列車に使用されたのが始めで、平成18年に運転された「仙台あいづ」はまさにその由緒ある区間を運転していたことになる。

●ギャラリー

 往年の「あいづ」。
 運転開始当初から1往復をかたくなに守り続け、L特急にも指定されなかったが、国鉄末期からは貴重な上野直通の東北特急として注目を集めていた。
(写真:鶯谷駅/撮影:haru様)

 平成17年に運転されたときの「あいづ」。
 「あいづライナー」として運転されていた編成をリニューアルの上投入されたもので、前面の印象が大きく変わっていたのが特徴だった。
 「あいづ」の運転を終了した後、この編成は再び改造工事が行われ、現在は東武線との直通特急として運転されている。
(写真:会津若松駅/撮影:デューク)

 平成18年に運転された「あいづ」。
 平成18年バージョンは原型を色濃く残す状態のままリニューアルされ、塗装が九州の485系を思わせる鮮やかな赤であるが、前年ほどの新鮮味はない。
(写真:浦和駅/撮影:デューク)

 上野駅で発車を待つ「あいづ」。
 リバイバル運転以外で上野発の東北特急が再び運転されることになるとは誰が予想しただろうか。
(写真:上野駅/撮影:デューク)

 会津若松駅に到着した「あいづ」。
 ここで方向転換し、さらに喜多方を目指す。
(写真:会津若松駅/撮影:デューク)

 大宮駅に停車中の「あいづ」。
(写真:大宮駅/撮影:裏辺金好)

 「あいづ」の方向幕その1。
 こちらは平成17年運転時のもの。列車名が方向幕の大半を占拠している。
(写真:黒磯駅/撮影:デューク)

 「あいづ」の方向幕その2。
 平成18年に運転された際のもので、国鉄時代のレイアウトそのままでの運転だった。これなら、塗装も国鉄色のままでよかったのに。
 なお、前年と同じデザインの方向幕もある。
(写真:上野駅/撮影:デューク)