登場年:昭和45年(1970年)
運転区間:上野〜青森・秋田(弘前)
使用車種:PC20系・PC24系(583系)
昭和45年に東北本線〜奥羽本線の寝台特急として登場したのが「あけぼの」であった。急行「男鹿」の季節列車を格上げする形で運転を開始したのだが、「はくつる」「ゆうづる」といった列車の補完的役割も担っていた。
登場以後、20系客車での運転であったが、14系や24系といったより居住性を向上させた車両が登場したが、「あけぼの」は20系での運転が続けられ、昭和55年になってようやく24系に置き換えられた。「あけぼの」は定期寝台特急としては最後まで20系を使用した列車となった。
運転本数は奥羽本線の需要旺盛により、最大3往復運転まで成長。秋田行きも登場した。この状態でJR時代を迎えた。
JR化後最初の63年のダイヤ改正で2往復になり、青森行きのみとなった。なお、1往復減とはなったものの、臨時便でしばらくは残っており、しかもこの臨時列車には583系が使用されるなど、運転区間が上野〜弘前であったことなどを含めて、特異な存在であった。
「あけぼの」はこの後、運転経路等が大きく迷走していく。最初の転機は平成2年のことで、山形新幹線の工事が本格化したため、小牛田まで東北本線を北上し、陸羽東線を経由して奥羽本線に抜けるルートに改められた。これに伴い、1往復減便となっている。この措置の結果、小牛田から新庄までは非電化区間を走行することになったが、DD51の配置がなかったため、DE10が重連で牽引するという珍しい形態となり、注目された。
この運転形態はそのまま定着したが、平成9年になり、再び転機が訪れる。秋田新幹線の開業だった。
この改正で、「あけぼの」は廃止されることになった。ところが、「あけぼの」の愛称が秋田以北では定着していたことなどもあり、上越線〜羽越本線を経由していた「鳥海」の愛称を「あけぼの」に改称するというウルトラQを行い、列車は廃止となったが、愛称は存続するという結論となった。
「あけぼの」は新幹線の影響の少ない路線にシフトしながら運転が続けられていて、その後も東北方面の寝台特急が次々と減便される中で、運転が続けられ、いつの間にか上野発の東北ブルトレ最後の列車となってしまった。
現在、廃止の予定はないが東北新幹線の新青森開業の際には何らかの動きがあるかもしれない。