特急【あさしお】
     J.N.R / J.R. Limited Express "Asashio"


米子駅で発車を待つ「あさしお」。
(写真:米子駅/撮影:デューク)

●基本データ・運転区間
登場年:昭和47年(1972年)
運転区間:京都〜東舞鶴・城崎・鳥取・倉吉・米子
使用車種:キハ80系・キハ181系

●列車の解説
 日本海縦貫線の電化完成により、昭和47年に「白鳥」および「いなほ」が電車化されたが、この時捻出されたキハ80系を使用して「あさしお」の運転は始まった。
 当時は4往復だったが、宮津線回りの3回スイッチバック行う運用などは当時からあり、非常に複雑な運用をしていた。
 運転開始当初は全列車食堂車を連結していたが、昭和50年に食堂車の連結を中止した。
 昭和57年には伯備線の電化により捻出されたキハ181系に全列車が置き換えられた。ちなみに同年7月1日から置き換えられたのは2・7号の1往復のみだったようだ。
 国鉄時代の大部分を4往復体制ですごしてきた「あさしお」であったが、昭和60年のダイヤ改正で5往復となり、昭和61年のダイヤ改正において、「あさしお」を補完していた急行「白兎」が「あさしお」に編入され、最終的に6往復体制となった。
 平成に入り、京都─園部間が電化され、京都に顔を出す気動車は激減。特急・急行はかろうじて置き換えを免れたが、残った園部─綾部間の電化はまもなく始まり、平成8年に完成。最終的にこれで「あさしお」の運命は決まった。
 もっとも、平成6年の暮れには智頭急行が開通し、大阪⇔鳥取・倉吉間に「スーパーはくと」が運転開始。早くも7年の夏頃(冬という話も)には京都まで延長が実現しており、関西対鳥取のルートも実質的に奪われる形となっていた。
 「あさしお」は平成8年春のダイヤ改正で相棒の急行「丹後」ともども、電車化の上「きのさき」「はしだて」「たんば」に改称し廃止された。

●ギャラリー

 京都駅に到着した「あさしお」4号。
 まだ、京都駅のあの巨大な駅ビルの工事が始まる前の時代である。山陰本線の京都周辺にもローカル線の情緒がまだまた残っていた頃の写真である。
 撮影日は1991年8月16日・・・まだの頃は181系にもツヤがあるように見えないだろうか(単に全検後という噂も(汗))。
(写真:京都駅/撮影:デューク)

 京都へ向かって直線区間を高速で走行する「あさしお」4号。
 国鉄末期の昭和60年以降気動車特急にも絵柄付きのヘッドマークが標準で用意されるようになったが、盗難などによって文字のみのヘッドマークで運転されることもあった。
 たまたま撮影した文字ヘッドマークの「あさしお」。側面のJRマークに目をつぶれば、8両という編成長とも相まって、往年の気動車特急を髣髴させるようなシーンだ。
(写真:下北条〜由良間/撮影:デューク)

 雨の中倉吉駅に進入してきた「あさしお」4号。
 智頭急行開通前のことで、京都へ向かう主力列車であった。倉吉の場合、この列車で京都まで出るのが普通だった。
 雨天でシャッターが遅すぎた。
(写真:倉吉駅/撮影:デューク)

 「あさしお」の方向幕。「米子⇔京都」ということで4・9号用の方向幕であることがわかる。
 ところで、この方向幕は進行方向的には京都寄りに「米子」、米子寄りに「京都」となっている。なぜ反対のほうに方向幕が表示されているのだろうか。
 実は宮津線(北近畿タンゴ鉄道)経由で編成が逆向きになる3号は折り返し山陰本線経由の京都行き8号となる。この8号が折り返し9号になるのである。当然編成の向きは逆のままである。
 この9号は米子滞泊の後翌日の4号で京都に向かい、折り返し山陰本線経由の城崎行き5号となり、折り返し宮津線経由京都行き10号となって正向きに戻って運用が終了する。
 つまり、4・9号は逆向きで走っていることになる。そのため、方向幕も逆に表示されてしまっているわけだ。(逆向きで走ることがわかっているなら初めから逆に表示しとけばよさそうなものなんだが)
(写真:倉吉/撮影:デューク)
 

2006/08/01更新(2004/07/13初版)

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