登場年:昭和40年(1965年)
運転区間:函館〜札幌(旭川)
使用車種:キハ80系・キハ183系
北海道の特急列車は青函連絡船との接続を前提にして増発されていったが、北海道内の移動範囲が広がる順に増発された。1便系統が「おおぞら」(後に「北海」が加わる)、3便系統が「おおとり」というように。ちなみに本州側の接続列車もだいたい決まっており、「おおぞら」に接続するのが「はつかり」、「おおとり」に接続するのは「はくつる」であった。
さて、昭和40年にいたり、青函連絡船5便系統の列車の整備が行われるようになった。本州側では常磐線経由の名門急行「北斗」を特急「ゆうづる」に格上げした。対する北海道側は、旭川までの特急を設定することになったが、奇しくもこの列車に「北斗」の名が与えられた。使用車種はキハ80系気動車であった。
こうして「北斗」は運転を開始したが、その後はなかなかファン的には興味深い列車となっていく。まず、昭和43年の白紙ダイヤ改正では札幌までの1往復が増発されるが、この列車の食堂車にはしばらくの間、それまで「はつかり」で使用されていたキサシ80が使用されていた。すぐに駆動エンジンを搭載しキシ80−900番台となってしまうが。
昭和44年のダイヤ改正では7便系統の特急列車整備が図られるが、これも「北斗」となった。ところが、これに充当される予定だった「つばさ」用のキハ80系がキハ181系の増備の遅れでダイヤ改正に間に合わず、苦肉の策として夏期輸送が終わり手隙になっていたキハ58系が充当されたのである。この状態はその後半年続く。過去に急行型を使用した特急列車は例にあったが、ほとんどがトラブルの際の代用で、この時のような長期にわたる計画的な使用は初めてのことであった。
昭和45年の春にキハ80系に置き換えられた。さて一方、前年に増発された列車は運転区間を札幌までに短縮の上、「エルム」と名を変える。ただし、その1年後には「北斗」に統合されることになるのだが。
昭和47年に一旦は1往復が「おおぞら」に吸収されるが、翌年に「なは」の電車化に際して「北斗」用に車両が回され再び3往復となり、その後はキハ183系の登場を機に4往復となり、「おおぞら」「北海」「おおとり」を次々と吸収していき(「おおとり」の吸収はJR化後の昭和63年)、函館〜札幌間の主役となり、JR化直前の昭和61年には8往復を数えるまでになった。
昭和61年の国鉄最後のダイヤ改正でキハ80系が定期運用から撤退した後は、キハ183系の独壇場であるが、平成7年以降はキハ281系を使用した「スーパー北斗」が主役になりつつあり、「北斗」は4往復を残すだけとなり、脇役の感が強くなっている。しかし、表定速度が90km/hを超えるスピードは国鉄型の気動車特急としては驚異的な数字であり、最高速度も130km/hと奮闘している。