登場年:昭和50年(1975年)
運転区間:米原(京都)〜金沢・富山
使用車種:485系・489系・683系
昭和50年に関西と北陸を結ぶ短絡線として湖西線が開通した。これに伴って、大阪発着の優等列車のほとんどが湖西線経由に改められた。この結果、敦賀から米原方面へ抜ける優等列車が激減することになることから、米原での新幹線接続の機会を確保するために米原発の特急列車が設定された。これが「加越」であった。
「加越」はこのような経緯で設定されたため、もともと需要自体は限られており、当時としては異例の7両編成での運転となった。気動車特急では見られた7両編成の列車が電車特急でも登場したのは(房総特急ですら9両編成であったことを見ても)センセーショナルなことであった。
この状態のまま、特に大きな変化もなくJR時代へと突入するが、「しらさぎ」と完全に運転区間が重なるなど、存在感はいまいちなく、昭和63年には「加越」の上位列車とも言うべき「きらめき」が登場し、さらに影が薄くなった。その後一時期、昼間の列車はほとんどが「きらめき」となり、「加越」は早朝深夜に運転される傾向が強くなるなど、冷遇された。
ところが、当初停車駅が途中福井だけだった「きらめき」の乗車率が思ったほどあがらず、次第に停車駅が増加。ついには列車名と車両以外「加越」となんら変わりなくなる。今度は「きらめき」が「加越」へと編入されていく傾向が強くなり、平成9年に「加越」に完全に吸収された。
登場以後、485系系列の車両による運転が続いてきた「加越」であったが、さすがの485系も老朽化したため、平成15年7月に683系に置き換えられた。
しかし、運転区間の重なる「しらさぎ」に対して地味な印象は拭い切れなかったようで、683系に置き換えられてからほんの2ヶ月ほどの平成15年10月、「しらさぎ」に吸収されて「加越」の名前は消滅した。
現在、列車そのものは「しらさぎ」51号〜として運転されている。