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山陽新幹線博多開業の昭和50年に、小郡から山口線経由で山陰を目指す新幹線接続特急が設定されたが、これが「おき」である。 ダイヤ改正前日まで「かもめ」として走っていたキハ80系車両のうち一部が「おき」に充当され、鳥取・米子〜小郡間で運用を開始した。 運転開始当初は「あさしお」「はまかぜ」と共通運用であったが、翌年には「つばさ」の電車化で余剰となったキハ181系に置き換えられた。 その後はグリーン車が非連結となり、運転区間が一部について出雲市までとなるなど細かい変更点があったが、大きな変更もなく21世紀を迎えたが、山陰本線のうち島根県区間について高速化工事が完了したため、新型の187系に置き換えられ、列車名も「スーパーおき」となり、「おき」は定期運用を失った。 しかし、その後も多客期を中心に収容力に難点のある187系を補完して「おき」は運転された。 平成15年10月の鳥取県内高速化が完成とともにキハ187系が増備され、増結が可能になり、以後運転されることはなくなった。 平成15年12月6,7の両日「おき」が復活運転し、米子⇔新山口を2日間かけて1往復した。 平成16〜17年にかかる年末年始に新山口〜浜田間でキハ187系使用の「おき」91・92号が運転されたが、なぜか「スーパー」とつかない、「おき」として設定されていた。なぞだ。
ふと、キハ181系の歴史を振り返ってみると、この系列を一番長く使用した列車は実は他ならぬ「おき」だった。 現在進行形の「はまかぜ」が猛追しているものの、2007年まで181系で走り続けるのはちょっと困難じゃないかなぁと思う。 私がこの由緒ある列車を利用したのは2回。津和野から米子に戻ったときと、出雲市から米子へ行ったときと・・・。津和野から乗ったときは山陰線内に入った後は眠気との戦いで、あまり良く覚えていないのが残念だ。 そんなに昔のことではないと記憶しているのだが(切符を見てみたらなんと平成6年だそうな・・・)、トイレはタンク未設置だったね・・・。いわゆる垂れ流しというやつで、トイレの穴から線路が見える・・・ 出雲市から乗ったときは「やくも」でも良かったのだが、先に来たのが「おき」だったので、乗っただけなのだが。繁忙期であったため、6両という編成だった。国鉄色の長大編成を見れる数少ない存在になっていた頃のことだったから、今にして思えば貴重なことだった。 そして、平成15年12月。あの日の記憶とともに「おき」が復活運転するということで、乗車してきた。写真はそのときのもので、米子駅での1枚だ。この1枚を撮るだけでもえらく苦労したような気がする。 キハ47系が邪魔だよなぁ。この後ベストショットを撮影することに成功するのだが。。。失敗作とともに誤って消してしまうというおろかなことをしてしまった。 デジカメって怖いなぁ。 記念乗車証は、私の永遠の宝物だ。
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