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全国的に特急網が整備されつつあった昭和30年代末期、日本でも有数の山岳線区の幹線である中央線にも特急を運転しようという機運が高まったが、当時のキハ80系ではこの区間で十分な性能を発揮できないということであっさり見送られ、その代わりに新型気動車特急の開発のための試作車による急行が運転された。 そして、この実績をフィードバックさせて登場したキハ181系によって念願の特急が運転されることとなった。これが特急「しなの」である。 名古屋と長野を4時間を切るスピードで走る特急によってようやく幹線の風格を見せることになった中央西線だったが、キハ181系のエンジントラブルが夏場に多発し、「しなの」のこの影響をもろに受けることになった。 昭和48年に中央西線は全線で電化が完成し、振子機能を持った381系が登場し、「しなの」に投入され、名古屋〜長野間は3時間20分で結ばれるようになった。 本数を確保するため、昭和50年までキハ181系も併用されている。 その後は短編成化などを受けたが、運転本数は増加し、JR時代を迎える。 JR東海の担当となった「しなの」であるが、名古屋を拠点とする「ひだ」「南紀」といった気動車特急に使用されていたキハ80系の時間切れが迫っていたため、これらの整備が優先され、「しなの」はパノラマグリーン車が登場する程度の変更しか加えられなかった。 ようやく「しなの」にも手が加えられるようになり、平成8年に383系が登場、平成9年のダイヤ改正で定期列車は一斉に383系に置き換えられ、季節列車のみが381系で残ることになった。 ちなみに季節列車の概念はその後消滅し、現在では完全な臨時列車として最繁忙期を中心に運転されている。
いろいろ知ったようなこと書いているが、この列車にはあまり乗っていない。もっと乗っていたような気がしたのだが、気がしただけであった。よくよく数えてみると2回だけだった。 初めて乗車したのは平成5年のことで、まだ381系の天下だった頃のことだ。 木曽福島のあたりから天気は大荒れで、窓を濁流のような雨が洗って、景色がぜんぜん見えなかったことを覚えている。 381系は良くゆれるという話を聞いていたが、そんなに激しい揺れではなかったような気がした。 その後、トンとご無沙汰し、再び乗車する機会が得られたのは平成16年の初夏のことで、土・日きっぷで、中央線経由で長野を目指したときで、このとき初めて昼間の篠ノ井線に入り、車窓を楽しんだ。
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