登場年:昭和47年(1972年)
運転区間:岡山(高松)〜松山・宇和島
使用車種:キハ181系・キハ185系・2000系・8000系
昭和36年以降、日本全国に特急列車が運転されるようになったが、特急化の動きから取り残されていた地域があった。これが四国で、昭和40年代になっても急行列車一色という状態であった。これは、四国の国鉄線が非電化区間であったことに加えて、各県庁所在地の都市との間に山岳区間が存在し、非力なキハ80系特急型気動車では運転が困難であったことなどがあった。
しかし、昭和43年にキハ181系が登場。いよいよ山岳路線にも特急化の波が押し寄せるようになった。そして、昭和47年に四国への玄関口ともいえる岡山に新幹線がついに到達。このタイミングにあわせて四国にも特急列車が運転されることになった。このうち予讃本線の特急列車が「しおかぜ」であった。
「しおかぜ」は高松で宇高連絡線と接続し、松山・宇和島までキハ181系で運転された。当初3往復での運転であったが、その後1往復が増発され、国鉄時代の大半を4往復ですごした。運転距離など諸事情により食堂車の連結は見送られ、同年に登場していた房総特急とともに国鉄特急としては異例の特急であった。
「しおかぜ」にとって最初の転機となったのは昭和61年のことで、キハ185系の登場とともに急行「伊予」を格上げし、一挙に13往復にまで運転本数が膨れ上がった。この状態でJR時代を迎える。
JR化後最初の大規模なダイヤ改正となった昭和63年、ついに瀬戸大橋が開通したが、これに伴い、「しおかぜ」は一部の高松発着の列車を残し岡山発着に改められた。高松発着の列車は「いしづち」と名を変えた。この状態でしばらく運転が続けられる。
平成3年に新鋭の2000系気動車が投入された。これに伴い、大幅にスピードアップが実現した。これに伴い早くもキハ185系が「しおかぜ」から撤退してしまう。そして、平成5年。四国の電化区間がついに高松方面から松山までつながり、大半の列車が8000系に置き換えられた。これで登場以来活躍を続けていたキハ181系が撤退する。
この後は「いしづち」との併結が本格化し、運転本数が大きく増えたものの、列車そのものには大きな変化はなく、宇和島まで足を伸ばす2往復が2000系で運転されているほかは、8000系による運転となっている。