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まずはじめに、少しだけ「つばめ」の愛称の生い立ちから解説する。 最初に「燕」として登場したのが昭和5年。東京〜神戸間においてであった。この頃の夢の超特急といえば「燕」のことであった。 しかし、戦争が激化していた昭和18年に一旦廃止されてしまう。再登場まで7年の歳月が必要であった。 戦争の混乱がとりあえず収まった昭和25年、再び「つばめ」が東京〜大阪間で登場した。その後、東海道本線にはモハ20系(151系)による特急電車の運転が始まり、それが大好評となったため、昭和35年に「つばめ」にも151系が投入され、電車時代を迎える。 昭和37年にキハ80系「へいわ」を吸収して運転区間は東京〜広島間となり、老舗特急としての貫禄を見せた。 昭和39年の新幹線開業で、新大阪〜博多間の特急となるが、程なくして481系により名古屋〜熊本間の特急となる。この頃から583系などでも運用されるようになる。 昭和47年の新幹線岡山開業で、岡山発着となるが、一部の列車が西鹿児島まで足を伸ばすようになる。しかし、昭和50年の新幹線博多開業で、「つばめ」は廃止となった。 さて、JR時代を迎えると、JR九州は特急列車のサービス向上を熱心に進めるようになるが、その集大成といえるのが787系であった。さっそくこの車両を西鹿児島まで運転されている「有明」に投入することになったが、従来の特急にそのまま投入したのではインパクトに欠けると言う事で、愛称を変えることになった。 西鹿児島まで足を伸ばしていた特急としては「つばめ」「なは」「かもめ」があったが、「つばめ」以外は当時も使用されていたため、「つばめ」が採用された。新型車両とともに「つばめ」の愛称が復活するということで世間からも大いに注目を集めた。 当初は787系の数が足りずに783系も運用に入っていたが、ビュッフェ車まで連結し、大好評の787系と比して見劣りがするのは否めず、平成8年までに787系に統一された。 さて、順風満帆で船出した「つばめ」であったが、九州新幹線の開通が迫ってくると、影響を受けないわけにはいかなかった。 当時、さすがに以前ほどの人気の過熱はなくなっていて、基本的に7両編成での運転であったが、新幹線との定員を合わせるにはビュッフェ車が「邪魔」となっていた。また、新幹線開業で、運転区間が大幅に短くなり、採算の問題もあったので、ビュッフェのスペースを客室に改造して定員を合わせるとになった。 したがって、末期の「つばめ」は多少地味な印象は免れなかった。 結局、平成16年3月の九州新幹線の開業によって愛称は新幹線に譲り、それまでの列車は「リレーつばめ」となった。 余談であるが、平成16年10月にJR東日本が583系を使用して夢の超特急「つばめ」を品川〜名古屋間でリバイバル運転した。
私がはじめて「つばめ」に乗車したのは平成13年のことであった。熊本から博多までであったが、乗車率の高さに驚いたことを覚えている。 指定席が取れなかったので自由席に乗車することになったが、この列車に乗ったら是非利用したいと思っていたのは言うまでもなくビュッフェであった。在来線の昼行特急でビュッフェ車が連結されていたのはこの列車だけであったから、貴重であった。 さて、それから2年ほどがたち、九州新幹線の開業が目前に迫っていた平成15年の暮れ、再び九州に行く機会があったので、さよなら乗車ということで「つばめ」を利用した。急行「くまがわ」にもさよなら乗車しておこうと思っていたので、西鹿児島から熊本まで乗車することにした。 インターネット(えきねっと)で予約したのだが、プラス1240円でグリーン車が利用できますという注意書きにつられてグリーン車を選択してしまった。 もっとも、この選択は正解であったと思う。JR九州の特急列車のサービスは非常に高いレベルのものであるが、グリーン車のサービスは他のJR各社のものとは比較にならないものだったのだから。 熊本〜博多間に比べて熊本までの区間は景色の一級のもので、大変満足できたと思っている。
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